感染対策情報レター

中東呼吸器症候群(MERS)について

はじめに

中東呼吸器症候群(MERS:Middle East Respiratory Syndrome)は、中東地域を中心に現在も感染報告が続いており、アジア地域では韓国でのアウトブレイクが報告されています。日本国内での感染はまだ報告されていませんが、飛行機等による交通手段の発達により各国間の移動が容易となっている現在では、流行地からの渡航による日本への持ち込みの可能性が危惧されています。

今回はMERSの原因ウイルスであるMERSコロナウイルスと中東呼吸器症候群(MERS)に関する現在までの情報をまとめます。

MERSコロナウイルス

MERSコロナウイルスは、コロナウイルス科コロナウイルス亜科ベータコロナウイルス属に分類されるエンベロープを持つウイルスで、2012年にサウジアラビアで初めて同定されました1)。MERSコロナウイルスは動物からヒトへ感染する動物由来感染性ウイルスで、ウイルスの起源はコウモリにあり、コウモリからラクダに感染したと考えられています。MERSコロナウイルスの主な宿主はヒトコブラクダであり、ウイルスを保有しているヒトコブラクダとの直接又は間接接触により感染が成立するとされています2)

MERSコロナウイルスは、エジプト、オマーン、カタール、サウジアラビアなどを含む複数の国のヒトコブラクダから検出されており、MERSコロナウイルス特異的抗体が中東、アフリカ、南アジアのヒトコブラクダで確認されています2)3)。一方、日本のラクダのMERS感染状況について、動物園など8施設のヒトコブラクダを調査した報告では、調査したすべてのヒトコブラクダにおいてMERS抗体およびウイルス遺伝子はどちらも検出されず、感染は認められませんでした。また、調査を行った施設のひとつで飼育されているフタコブラクダに対しても同様の調査が行われましたが、感染は認められなかったと報告されています4)

中東呼吸器症候群(MERS)

MERSコロナウイルスによる感染症を中東呼吸器症候群(MERS)と呼び、日本においては平成27年1月21日より感染症法における二類感染症に指定されています。
臨床症状としては、無症状や軽度の呼吸器症状から重症急性呼吸器疾患や死亡まで幅があります。典型的な症状は発熱、咳、息切れで、肺炎や下痢を含む消化器症状も報告されています。重症例では呼吸不全を生じます。高齢者や免疫力が弱い人、腎疾患、癌、慢性肺疾患、糖尿病などの慢性疾患のある人は、より重篤となる可能性があるとされています2)。特に基礎疾患のある60歳以上の男性が感染、重症化のリスクが高いと考えられています。致死率は、感染が確認された患者全体の約35%と報告されています3)5)

2016年12月2日までの確定症例1841例の調査において、中央年齢は52歳(範囲:1歳~109歳)、65.6%が男性でした。また、症状の程度として、20.6%が無症候または軽症、19.9%が中等度、47.5%が重症または死亡例で、確定症例の約20%が医療従事者と報告されています。ヒトコブラクダと濃厚接触する人々とMERS患者のケアを行う医療従事者が、MERSの感染リスクが最も高いと考えられています5)
また、生または加熱不十分な肉やミルクなどの畜産物の摂取は、様々な微生物の感染リスクが高いとされており、ラクダの肉やミルクにおいても殺菌や加熱加工などが求められます2)

感染事例

2012年にサウジアラビアで初めての報告がされて以降、中東、北アフリカ、ヨーロッパ、米国、アジアの27か国から感染例が報告されており、全症例の約80%はサウジアラビアから報告されています。イギリス、フランス、チュニジア、韓国においては、中東から帰国した人を発端としてそれぞれの国内で感染事例が報告されています3)

その中でも、2015年に韓国で発生したアウトブレイクは、中東以外で発生したもっとも大きいアウトブレイクであり、中東から帰国した68歳男性の発症を発端として、最終的に5月20日~6月13日の期間に186例のMERS患者が確認されました。感染拡大の背景としては、初発者の診断が遅れたことにより、診断が確定するまでの間に受診、入院した複数の医療機関において院内感染事例が発生したことが挙げられています。初発者の入院した病院では同室の患者やその家族、医療従事者、同じ病棟の患者に感染が拡大し、さらに同病棟の発症者が転院した先の医療機関でも感染が広がるなど、複数の医療機関を巻き込んだ院内感染事例と報告されました。このアウトブレイクでは4次感染まで確認され、感染した患者の大部分(98%)が医療機関内での感染と考えられています6)7)8)

現在もサウジアラビアを中心に断続的にMERS感染事例が報告されており、最近でも、サウジアラビアにおいて感染者から医療従事者間、患者家族への二次感染が認められた集団感染が複数報告されています。2012年9月以降にWHOへ報告されたMERS確定症例は2,066例で、そのうち関連する死亡例は少なくとも720例と報告されています(WHO 2017年87月18日公表)9)

感染予防策

現時点ではMERSの国内発生事例は報告されていませんが、各医療機関において国内発生時の対応を周知しておくことが重要です。通知に基づき、当該患者の症状がMERS疑似症患者の定義に該当するかを判断し、該当する場合はその定義ごとの対応として、届出や患者検体の採取・地方衛生研究所等への送付、患者の感染症指定医療機関への移送等を行います。患者移送においては、搬送従事者の安全確保と、搬送患者の人権への配慮の両面に立った感染対策を行うことが重要とされています。地方衛生研究所のPCR検査結果で陽性が出た場合は、MERS患者との接触状況等に応じて、二次感染が疑われる者に対する積極的疫学調査を速やかに開始します。MERS疑似症の要件に該当する者については、特定、第一種又は第二種感染症指定医療機関への入院措置を行います。疑似症の要件に該当しない者のうち、必要な感染防護策なしでMERS患者と接触した医療従事者など濃厚接触者に該当する者は、最終曝露から14日間、健康観察及び外出自粛要請の対象になると定められています。濃厚接触者に該当しないその他の接触者については、最終曝露から14日間、健康観察の対象となります。MERSは医療施設や家族内等において限定的なヒト-ヒト感染が確認されていることから、MERS患者との接触者に対する対策も行わないと、韓国でのアウトブレイク事例のように感染拡大が生じる可能性があります。積極的疫学調査実施要領(暫定版)に基づき接触者調査を実施し、適切な対応を行うことで感染拡大を防止することが重要です10)

MERSコロナウイルスはエンベロープを有するため、消毒薬抵抗性は高くないと考えられますが、致死率も高く、本ウイルスの詳細について不明な点もあるため、厳重な消毒で対応を行います。MERSの主な感染経路は飛沫感染及び接触感染と考えられており、家族間や医療機関での濃厚接触等の限定された条件下におけるヒト-ヒト感染が報告されています。

MERSに対する感染対策としては、まず、外来における呼吸器衛生/咳エチケットを含む標準予防策と飛沫予防策の徹底が重要です。また入院患者に対しては、湿性生体物質への暴露がある場合には接触予防策を追加し、患者の気道吸引、気管内挿管等のエアロゾル発生の可能性が考えられる処置を行う場合は空気予防策の追加を行います。対策の具体例として、手指衛生の徹底、必要に応じたN95マスク、手袋、フェイスシールドやゴーグルの着用、ガウンやエプロンの着用が挙げられています11)。手指衛生では、手が見た目に汚れていない場合には速乾性手指消毒薬を用います1)

目に見える環境汚染に対しては清拭・消毒を行い、手が頻繁に触れる部位については、目に見える汚染がなくても清拭・消毒を行います。その際に使用する消毒薬としては、消毒用エタノール、70v/v%イソプロパノール、0.05~0.5w/v%(500~5000ppm)次亜塩素酸ナトリウムが推奨されています。次亜塩素酸ナトリウムを使用する際は、換気や金属部分の劣化に注意が必要です11)

医療機器に対しては、80℃10分間の熱水などが適していますが、非耐熱性の場合は次亜塩素酸ナトリウム(1000ppm)への30分浸漬や、消毒用エタノール清拭(2度拭き)などで対応します。リネン類に対しては、80℃10分間の熱水洗濯機での洗濯や、次亜塩素酸ナトリウム(1000ppm)への30分浸漬が推奨されています1)

患者の入院の際は陰圧管理できる病室または換気の良好な個室の使用が推奨され、複数の患者がいる場合は同じ病室に集めて管理を行います。MERS患者、疑似症例の移動は必要最低限とし、移動時には可能な限り患者にサージカルマスクを装着させます11)

おわりに

中東地域などで新たな症例が報告されているMERSは、現時点では日本における発生はありません。しかし、飛行機等の移動手段の発達により、今後、国内に感染が持込まれる可能性が考えられます。いまだ院内感染の発生が海外で報告されている理由のひとつとして、MERSの症状が非特異的であることから初期の症例を見落としてしまうことにより、医療施設でのヒト-ヒト感染が起きてしまうと考えられています。渡航歴、接触歴、症状等の確認により早期にMERS感染リスクを判断し、MERS疑い例に対しては症状に応じた適切な感染予防策を取る必要があります。各医療機関においては、平時より外来受付時に呼吸器症状を呈する患者に対して咳エチケットの指導などを行うなど、標準予防策を徹底することで感染拡大防止に努めることが大切です。また、MERS感染が確認された場合は、該当患者への感染対策に加え、MERS患者との接触者を調査し、接触者に対しても適切な対策を行うことで感染拡大を防ぐことが重要です。


<参考文献>

1.MERS感染予防のための暫定的ガイダンス(2015年6月25日版).
日本環境感染学会
http://www.kankyokansen.org/modules/iinkai/index.php?content_id=11

2.Middle East respiratory syndrome coronavirus (MERS-CoV)
Fact sheet.Updated May 2017
http://www.who.int/mediacentre/factsheets/mers-cov/en/

3.中東呼吸器症候群(MERS)のリスクアセスメント(2017 年 6 月 16 日現在).
国立感染症研究所
https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/mers/mers-ra-20170616.pdf

4.Shirato K, Azumano A, Nakao T, et al.:
Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus Infection Not Found in Camels in Japan.
Jpn J Infect Dis.2015;68(3):256-8.
https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/mers/mers-ra-20170616.pdfhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/yoken/68/3/68_JJID.2015.094/_pdf

5.WHO MERS-CoV Global Summary and risk assessment.
5 December 2016
http://www.who.int/emergencies/mers-cov/mers-summary-2016.pdf?ua=1

6.2015年韓国におけるMERSの流行(2015年10月現在).
(IASR Vol. 36 p. 235-236: 2015年12月号).
https://www.niid.go.jp/niid/ja/iasr-sp/2320-related-articles/related-articles-430/6111-dj4303.html

7.Korea Centers for Disease Control and Prevention:
Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus outbreak in the Republic of Korea, 2015
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4588443/pdf/main.pdf

8.Kim KH, Tandi TE, Choi JW, et al.:
Middle East respiratory syndrome coronavirus (MERS-CoV) outbreak in South Korea, 2015: epidemiology, characteristics and public health implications.
J Hosp Infect.2017;95(2):207-213.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/28153558

9.中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)の発生報告(更新14)
2017年08月18日更新
http://www.forth.go.jp/topics/2017/08181039.html

10.厚生労働省健康局結核感染症課長:
中東呼吸器症候群(MERS)の国内発生時の対応について.
健感発0707第2号.平成29年7月7日.
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/0000170505.pdf

11.中東呼吸器症候群(MERS)・鳥インフルエンザ(H7N9)に対する院内感染対策(2014年7月25日).
国立感染症研究所感染症疫学センター・国立国際医療研究センター病院国際感染症センター
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/alphabet/mers/2186-idsc/4853-mers-h7-hi.html


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