感染対策情報レター

バイオテロリズムに対する病院感染対策(前編)

はじめに

2001年に米国で炭疽菌によるバイオテロリズムと疑われる事件が発生しました。米国CDCは危険性の高い微生物などを3つのカテゴリーに分類し、その最重要カテゴリーAに炭疽、ボツリヌス症、ペスト、天然痘、野兎病、ウイルス性出血熱を分類しています1)。また、厚生労働省は生物テロに用いられる可能性が高いと考えられている主な感染症として天然痘、炭疽、ペスト、ボツリヌス毒素を挙げています2)。バイオテロリズムに対しては国家的な対策が必要と思われますが、それに呼応して医療機関においても被害者の受け入れ、診断、治療、報告のための備えをしておくことが必要です。また、被害者と共に持ち込まれる微生物が他の患者や医療従事者に伝播することを防ぐための対策、つまり病院感染対策上の備えをしておくことも肝要と思われます3)。以下、炭疽、天然痘、ペスト、ボツリヌス症の概要と病院における伝播予防策、事前的(曝露前)免疫化の可否、行政への報告について述べます。診断、治療、予防的化学療法と事後的(曝露後)免疫化については他書をご参照ください4)5)6)7)8)

Anthrax(炭疽)

炭疽はBacillus anthracis(炭疽菌)を原因菌とする人畜共通の感染症です。炭疽菌はバチルス属の芽胞を形成するグラム陽性桿菌であり、野生および家畜の哺乳類が保有している場合が多く、通常ヒトは炭疽菌に感染した動物に接触することにより感染します。炭疽は感染部位の違いから皮膚炭疽、腸炭疽、肺炭疽の3種類に分類されます。皮膚炭疽は炭疽菌が直接皮膚に接触する経路で伝播し、自然発生する炭疽の95%が皮膚炭疽といわれています。また、腸炭疽は汚染された食物を経口摂取する経路、肺炭疽は炭疽菌芽胞を肺に吸入する経路で伝播し発生します。これらの中で肺炭疽が最も致死率が高く、10日間程度の潜伏期間を経て、熱、喀痰を伴わない咳、筋肉痛、倦怠感などインフルエンザ様の非特異的な前駆症状を呈した後、呼吸困難などの劇症に至ります9)。バイオテロリズムにおいては炭疽菌の芽胞をエアロゾル化しやすい形態に加工し散布して肺炭疽の発生を企図する場合も考えられます。2001年米国においては、いくつもの郵便物に炭疽菌芽胞が混入され、関連して発生した22例の炭疽のうち、11例が肺炭疽 (うち5例死亡)、11例が皮膚炭疽でした10)

肺炭疽・腸炭疽の場合には、感染症例から他のヒトへ伝播したという報告はありません。皮膚炭疽の場合のみ、接触による伝播が報告されています11)。したがって、炭疽症例には標準予防策を基本とし12)、皮膚炭疽の場合には接触予防策の追加を考慮します。

ただし、バイオテロリズムにより炭疽菌芽胞が散布されたような場合には、被害者の毛髪や衣服などに付着した炭疽菌が再浮遊して吸入される危険性が無いとは言えません。したがって曝露された被害者を受け入れるような緊急時には、まず被害者に石けんを用いた全身シャワー浴をさせます。ただし、次亜塩素酸系消毒薬による入浴は無用でありかつ有害なため行ってはなりません。衣服や所持品などは炭疽菌が拡散しないようプラスティックバッグに入れ厳重に保管します。高度に汚染された環境はなるべく汚染が拡散しないよう注意しながら洗浄し、場合により5,000ppm次亜塩素酸ナトリウムを用います3)13)。これらの介助や作業を行う際には、マスク・手袋・ガウンなどでバリアプロテクションを行います。また、被害者や所持品を受け入れる動線をなるべく他の患者の動線と交差しないようにするための方式を、あらかじめ考案しておくことも重要と思われます。

炭疽菌芽胞を減少させることのできる消毒薬として、0.25~0.3%過酢酸、有効塩素1,200~5,000ppmの次亜塩素酸系消毒薬、2%グルタラール、0.1~10%ポビドンヨードなどが報告されています14)15)16)17)。一般に芽胞は消毒薬抵抗性が極めて強いため、徹底的な洗浄による物理的除去を行うことが肝要です。洗浄できないノンクリティカル表面を消毒する場合には5,000ppm次亜塩素酸ナトリウムを用いますが、腐食作用や刺激性があるため、なるべく範囲を限定します18)。滅菌や焼却処分ができる場合はそれを優先します。

 

炭疽菌芽胞の消毒例
滅菌、焼却
徹底的な洗浄
0.3%過酢酸に30分以上、2~3.5%グルタラールに2時間以上浸漬
5,000ppm次亜塩素酸ナトリウムによる清拭


米国では軍人や繰り返し炭疽菌に曝露される危険のある民間人に不活化無細胞炭疽ワクチンの事前的接種が推進されていますが、供給に限りがあり、一般の医療従事者には推奨されていません3)19)。日本ではヒトへのワクチン接種は行われていないとのことです(2001年12月現在)4)

炭疽は感染症予防法における4類感染症(全数把握)で、通常7日以内に保健所などへの報告が必要ですが、厚生労働省は米国での状況をふまえ直ちに報告するよう通知しています2)20)

Smallpox(天然痘)

天然痘(痘瘡)の原因微生物であるVariola virusあるいは Smallpox virus(天然痘ウイルス)は過去において世界中に流行をもたらしました。しかし、WHOが1967年から実施した根絶計画などにより1977年10月を最後に自然感染者は報告されなくなり、1979年10月に世界的な根絶宣言が発表されました21)。天然痘ウイルスはポックスウイルス科のオルトポックスウイルス属に分類されるDNAウイルスでエンベロープを有します。急性期発症患者から他のヒトへ気道などを経由して、空気感染、飛沫感染、接触感染により伝播したと思われ多数の死者をもたらしました。天然痘ウイルスに感染すると7~17日の潜伏期間を経て、倦怠感、発熱、麻痺、嘔吐、頭痛と背痛などを生じ、また丘疹が生じて顔から手足に広がり、全身に水膿疱を形成します。インドにおける調査では通常型の天然痘において致死率は30%と報告されています22)23)

天然痘ウイルスは空気感染によってヒトからヒトへ伝播することが知られています。感染症例または感染の疑いがある症例には標準予防策に加えて空気予防策および接触予防策を行います。空気予防策が十分に行えない場合には、受け入れ体制のある医療機関への転院を直ちに手配します。バイオテロリズムの場合でも被害者のシャワー浴などは必要ないとされていますが、その所持品には接触予防策を適用します3)

天然痘ウイルスはエンベロープを有するウイルスであり、消毒薬抵抗性は比較的小さいと推測されます。天然痘ワクチン(種痘)の製造に用いられる同じオルトポックスウイルス属に属するVaccinia virus(ワクシニアウイルス)は他のエンベロープを有するウイルスと同様、次亜塩素酸系消毒薬、アルコール、ポビドンヨードなどに良好な感受性を示すと報告されています24)25)。しかし、天然痘ウイルスそのものの消毒薬感受性について詳しい知見が存在するわけではありません。ノンクリティカル表面の消毒が必要な場合には念のため500~1,000ppm次亜塩素酸ナトリウム、消毒用エタノール、70v/v%イソプロパノール、煮沸15~20分、93℃10分ウォッシャーディスインフェンクター、80℃10分熱水洗濯などを適用することが適切と思われます18)26)
 

天然痘ウイルスの消毒例
滅菌、焼却
2~3.5%グルタラールに30分浸漬
500~1,000ppm次亜塩素酸ナトリウムに30分浸漬
消毒用エタノール、70v/v%イソプロパノールによる清拭
煮沸15~20分
93℃10分ウォッシャーディスインフェンクター
80℃10分熱水洗濯


天然痘ワクチンは天然痘ウイルスへの曝露に対する最も有効な防護対策のひとつであり、皮内用生ワクチンが使用可能ですが、世界で最後に感染者が見られたのは20年以上前であり、近年広範なワクチン接種は行われていません。また、天然痘ワクチンは確実には終生免疫をもたらさず、既接種者でも天然痘に感染する可能性があるとされています。米国では最近、バイオテロリズム対策の一環として、あらかじめ急性疾患病院毎に天然痘を担当する医療チームを定め、それに属する医療従事者に天然痘ワクチンの事前的接種を行うという選択的な接種が勧告されましたが27)、まれに重篤な副反応が発生するため28)29)、事前的免疫化の可否と範囲については様々な議論のあるところです30)。日本においても天然痘ワクチンの国家備蓄が推進されています31)

なお、天然痘が発生した場合には感染予防法上の指定感染症に指定され、1類感染症と同等の扱いとすることが想定されています31)。天然痘が発生した場合には直ちに保健所などへ報告するべきです2)20)

Plague(ペスト)

日本では1926年以降ペストの発生はみられていませんが、発展途上国では現在も多くの症例が発生しています。ペストは腸内細菌科のグラム陰性桿菌であるYersinia pestis(ペスト菌)を原因とする急性感染症で、腺ペスト、敗血症ペスト、肺ペストの3種類があります。腺ペストはペストの大部分を占め、感染したネズミなどの血液を吸ったノミの刺咬、あるいはまれに感染動物およびその糞などへの接触により、傷口などから菌が侵入した場合に起こります。敗血症ペストはヒトのペストの約10%を占め、通常腺ペストから移行しますが、局所症状が無いまま敗血症症状を呈する場合があります。肺ペストは比較的まれですが、感染症例の咳嗽飛沫またはネズミの糞などで汚染された塵埃を吸入することによって発生し、出血性気管支肺炎をもたらします。肺ペストは間以内に適切な治療を行わなければ高い致死率を示すと言われています8)32)。バイオテロリズムにおいてはペスト菌を含むエアロゾルを散布して肺ペストの発生を企図する場合も考えられます3)

腺ペスト症例には標準予防策を基本としますが、膿・血液を介した伝播に対する厳重な注意が必要なため、接触予防策の追加を考慮します。また、肺ペスト症例またその疑いがある場合には飛沫予防策を効果的な治療が開始されてから72時間まで厳重に行い、その他腺ペストと同様の予防策を行います11)12)33)。バイオテロリズムにより曝露したと思われる被害者を受け入れる場合には、炭疽菌の場合と同様に、被害者のシャワー浴などを考慮します3)

ペスト症例に使用した器具や環境の消毒には標準予防策を基本的に適用しますが11)、疾病の重大性と強い伝播力を考慮してさらに念入りにノンクリティカル器具や環境表面を清拭消毒します。ペスト菌は栄養型細菌であり、特に消毒薬抵抗性は予想されず、ノンクリティカル表面の消毒には通常用いる0.1~0.2%塩化ベンザルコニウムなどの低水準消毒薬、消毒用エタノール、70v/v%イソプロパノールなどの中水準消毒薬、80℃10分間の熱水消毒などを用います18)26)
 

ペスト菌の消毒例
200~1,000ppm次亜塩素酸ナトリウム、0.1%塩化ベンザルコニウム、0.1%両性界面活性剤に30分浸漬
消毒用エタノール、70v/v%イソプロパノール、0.2%塩化ベンザルコニウム、0.2%両性界面活性剤で清拭
80℃10分熱水


腺ペスト用のホルマリン不活化ワクチンが存在しますが、肺ペストに対する効果は証明されていません3)。米国ではペスト菌を接種される危険の高い人(ペスト菌研究者、ペストが動物に流行している地域で野生齧歯類やノミに触れる動物学者など)についてのみワクチン接種が推奨されており、医療従事者へのワクチンの接種は特に推奨されていません3)32)。日本においては一部の海外渡航者向けに接種されています。

ペストはヒトからヒトへの感染伝播性が高く、感染症予防法で1類感染症に分類されており、保健所などへの迅速な報告と特定または第一種感染症指定医療機関への転院が必要になります。

Y’s Letter 14へ続く)

2003.03.04 Yoshida Pharmaceutical Co.,Ltd.

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